明治30年 |
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奈良県北葛城郡二上村穴虫1100番地にて船木金剛砂採掘工場を始める。責任者 船木五平創業 |
大正2年 |
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大阪市南区松屋町にて金剛砥石その他研磨材料の卸販売を終戦まで営む。責任者船木清四朗 |
昭和22年 |
2月 |
大阪市南区北桃谷34番地にて営業再開。船木兄弟商会の名前で研磨材、機械工具、 |
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ダイヤモンド原石、パウダー等の販売に重点を置く。責任者 船木清秀 |
昭和25年 |
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堺市鳳北町2丁目80番地大阪ダイヤモンド工業株式会社(現在、株式会社アライドマテリアル)の |
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ダイヤモンド製品の販売を開始。(後、特約店契約を結び今日に至る) |
昭和31年 |
9月 |
東京都港区赤坂葵町3番地東和治金株式会社とダイス及びチップ、超硬工具類の関西地区 |
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総代理店の契約を行う。 |
昭和36年 |
2月 |
大阪市東住吉区加美諏訪山町3丁目26番地 ダイジェット工業株式会社と超硬工具類の |
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代理店契約を為す。 |
昭和38年 |
5月 |
社名を船木研磨工業株式会社に変更。超硬工具と耐磨工具ダイスの販路拡張 |
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今日の基礎を築く。 |
昭和40年 |
9月 |
兵庫県伊丹市昆陽北1丁目1番1号住友電気工業株式会社 |
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(現在、住友電工ハードメタル株式会社)とイゲタロイ超硬合金の代理店(後、44年に特約店) |
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契約を結ぶ。これを機会に一段とイゲタロイダイス及びダイヤモンド製品の拡販に力を入れ、 |
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東京関東一円、名古屋、中国広島地区及び北九州に販路を拡張する。 |
昭和59年 |
1月 |
代表取締役社長に船木孝純就任。 |
昭和59年 |
11月 |
経営体質一新の為、経理部門にコンピュータ導入。 |
平成元年 |
2月 |
販売管理システム化 |
平成3年 |
10月 |
受注・発注管理システム化 |
平成5年 |
7月 |
資本金を1.000万に増資 |
平成8年 |
1月 |
突破的な成果を達成する企業を目指す為に、ランドマーク・エデュケーションのプログラムを採用。 |
平成11年 |
5月 |
戦力的ビジョン、企画そして実行の為に2年間のマネージメント・リーダーシップ・プログラムに参加。 |
平成14年 |
3月 |
東京元赤坂、SEIに於いて、企業への貢献の可能性を創造する。 |
平成15年 |
8月 |
多様性のある組織として、全く新しい領域の地質研究グループにアクセス開始 |
平成18年 |
7月 |
現在地大阪市中央区中寺1-1-57に移転する。 |
平成19年 |
4月 |
トランスフォームした会社としてスタートする。 |
平成20年 |
10月 |
癒しとマニフェステーションをもたらす企業として再コミット。 |
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